(-。-) ボソッ

日常をボソッとつぶやいてます。

心に刻みました。

ここは魹ヶ崎、本州最東端の地であります。
本州最東端
ここに来たのは、おいらのバイブル、阿部陽子さんの『里山スケッチ』に
この魹ヶ崎にあるトド山の記事があり、ちょうど震災があった23年3月11日に登りましょうと
誘われていたことが書かれてました。
その震災から1年5ヶ月めの8月11日、沿岸ではお盆を前に追悼の行事がいろいろ行われていました。
そこでおいらはトド山の山頂から黙祷を捧げようと出かけてみたのであります。

姉吉から一時間ちょっと歩いて、まずは最東端碑の前で腹ごしらえ。
目の前の海には船が行き交い、
海

処々にスカシユリ(俗称:はまゆり)や、名前がわかりませんが、あちこちに↓この花が咲いてました。
スカシユリ はてな
しばらくまったりとした時間を過ごし、この日の目的地に向かいます。

バイブルによると「灯台裏から与奈方面に進み、左のピンクテープを目印に・・・」とありましたが、
災害のため通行止
通行止。津波のため、与奈への道が崩落してました。

灯台の水源だった沢、そして船着場に行く道は流されてしまっています。
崩落
おいらの想定内なので、自己責任で進みます。
与奈方面に進むと、ピンクテープは「魹ヶ崎灯台まで0.5km」の道標の脇にありました。
ここから尾根に取り付くのですが、山の斜面は藪が厚くて、かなり手強そう。
この藪の厚さは想定外、ルートもはっきりしないしと、しばし悩んで撤退。
やはり藪が薄くなる冬の時期が登山適期なんでしょう。
それで3月だったんだと、本に書かれてたことに納得。

テクテクの来た道を戻って姉吉へ。ここも津波被害があった場所。
戻ってくる途中、浜の様子が目に入ります。
姉吉浜
3年前の写真と比べると
3年前の姉吉浜
津波が奥まで襲ったことがわかります。


魹ヶ崎への入口
魹ヶ崎入口
奥の木の枝に漁網とウキがぶら下がってました。

昔の写真
旧 魹ヶ崎入口

姉吉浜には防波堤もありました。
港入口

今はありません
今の姉吉

振り返ると
津波の痕跡
津波の痕跡がクッキリ。
改めて津波の威力、すごさがわかります。
14時46分に海に向かって、手を合わせて黙祷。

ここ姉吉地区の集落から少し下がったところ、海抜60mの地点には
大津波記念碑」があります。
大津波記念碑
書かれているのは
大津波記念碑
 「高き住居は児孫の和楽
  想へ惨禍の大津波
  此処より下に家を建てるな

  明治二十九年にも 昭和八年にも
  津波はここまで来て 部落は全滅し
  生存者は僅かに前に二人 後に四人のみ
  幾年経るとも要心あれ

と、ありました。
津波被害を後世に伝えるためのもので、この碑より下に家を建てるなという警告でもあります。

東日本大震災で発生した津波は、この碑から50mほど道路を下ったところまで来ていました。
津波到達地点
ここが津波到達地点です。
巨大な波が濁流となって、漁船もろとも押し寄せてきたそうですが、
やはり先人の教えは守るものであります。
姉吉地区に住んでいた方々に住居の被害、人的被害はなかったとのことです。

忘れてはならない、災害があったこと。
守りましょう、先人の教え。

おいら、心に刻みました。 ←よければクリックお願いします。
  1. 2012/08/12(日) 20:40:15|
  2. トドヶ崎・トド山
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